毎日新聞
2004年 (平成16年) 4月19日 (月曜日) 地域のニュース 阪神・尼崎 |
ピアニスト、瀬田さん 「平和の調べ」で魅了 西宮・香合の美展でリサイタル |
江戸時代に作られた香料の容器を展示する「香合(こうごう)の美」展(毎日新聞社など主催)が聞かれている西宮市大谷記念美術館 (同市中浜町)で18日、作品とともに音楽を楽しむピアノリサイタルが聞かれた。 展示会に合わせた音楽会は78年に始まり、107回目。今回は、96年の国際音楽コンクール(イタリア)で大賞に輝いた大阪府豊能町のピアニスト、瀬田敦子さん(49)が招待された。 瀬田さんは「イラクで争いが続く中、音楽が楽しめる平和に感謝しながら弾きます」とあいさつ。映画「戦場のピアニスト」に使用されたショパン作曲「ノクターン遺作」等を演奏した。 |
喜びや祈りなど表現力豊かな演奏で、参加者を魅了した瀬田さん |
2004年平成16年)5月29日(土曜日)地域のニュース 阪神・尼崎 |
阪神大慶災で友人を失った悲しみを乗り越え、活躍の舞台を世界に広げたピアニスト、瀬田敦子さん(49)=大阪府豊能町=が6月13日、学校に行けないアジアの子どもを支援するチャリティーコンサートを川西市で開く。瀬田さんは震災10年目の今春、友人と勤めた大学を退職。「あの時に痛感した生きる喜びを、争いが絶えない時代だからこそ響かせたい」と、平和への願いを込め演奏活動に力を入れている。【大場弘行】 |
震災で失った友人の分まで 生きる喜び 響かせたい 平和を願い、世界で活躍 ピアニストの瀬田さん アジアの子供支援 来月、川西で演奏会 |
瀬田さんは約10年前、武庫川女子大(西宮市)の教育音楽の非常勤講師になり、同じ立場の猪木聡子さんと出会った。演奏技術とともに、生徒の感性を大切する点で意見が合い、互いに刺激し合う友人になった。 94年、猪木さんが、1歳で娘を失ったノルウエーの作曲家・グリーグの協奏曲を弾き、その情感あふれる音の響きに圧倒された。しかし、「私も同じ曲を弾くからサポートして」と頼んだ約1週間後、猪木さんは震災で他界。31歳だった。 「私が生き残っても何の役にも立だない」。数力月間、鍵盤を見るのも嫌だった。しかし、どん欲にピアノを学ぶ猪木さんの姿が頭をよぎり、「彼女はもっと弾きたかったはず。生きて弾けるだけで幸せなんだ」と、再び演奏に打ち込むように。 震災翌年、イタリアに渡り、初めて海外のコンクールに挑戦。喜びにあふれた個性的な演奏が評価され、最優秀賞に輝いた。97年にはポーランドで、猪木さんが得意だったグリーグを披露、国際的な評価も高まった。「震災時に何の支援もできなかった」と01年のインド西部地震からチャリティー公演を始め、空爆後のアフガニスタン難民のための演奏もしている。 当日は、猪木さんに譜面を貸すはずだったアルゼンチンの作曲家・ヒナステラの曲のほか、平和の願いを込め、映画「戦場のピアニスト」の挿入曲などを披露する。 瀬田さんは「演奏に集中する今後は、クラシックの魅力とともに命や平和の重さを伝えたい」と話している。 午後2時、川西市小花2の「みつなかホール」で。入場料1000円(当日1500円)。問い合わせは、アジア協会アジア友の会 (06-6444-0587) |
ボランティアで子どもたちのために演奏する瀬田さん 大阪府豊能町立吉川小で |
2008年 (平成20年) 4月11日 (金) 総合 |
ひと |
イタリアの国際音楽コンクールで最優秀賞を受賞したのは41歳の時。喜びがほとばしる情熱的な演奏が持ち味だ。19日、元高校教諭の夫清史さん(57)とタイ・チェンマイに移住する。 タイ移住の決断は突然だった。今年1月、友人の縁でガラヤニ王女の追悼コンサートのためタイへ。子供たちの屈託のない笑顔とひたむきな向学心、「自由に使って」と言われたスタインウェイのピアノが奏でる素晴らしい音色……。「タイでクラシックをやっていけるんだろうか]という迷いが消えた。 大卒後、ピアノ教室や学校で講師を務めた。転機は、13年前の阪神大震災だった。同じ武庫川女子大非常勤講師の友人(当時31歳)が、倒壊した自宅で死亡。ノルウェーの作曲家・グリークの協奏曲を上手に弾き、共演しようとした矢先の死だった。 初めて命を深く意識した。「ピアノの音が違って聞こえるようになりました。さまざまな感情が音になって胸に迫ってきた」。インド西部地震が起きた01年からは、NGO活動にも参加。アジアの子どもを支援するチャリティー公演を全国で続けてきた。 「ビジネスライクじゃなく、人の感情を大切にする生活を送りたい。世界の人が人間らしい気持ちを忘れなければ、平和もきっと訪れる」 文・三野雅弘 写真・三村政司 |
大阪府豊能町在住。大教大特設音楽課程卒。 NGO「アジア協会アジア友の会」(大阪市)会員 |
2008年 (平成20年) 6月2日 (月) 京都 |
支局長からの手紙 |
楽しいクラシック |
先日、テレビ番組で、クラシックを聴いて曲名を当てるクイズをしていました。私も挑戦しましたが、半分も正解しません。そんな私でも、国際的に有名なピアニスト、瀬田敦子さん(53)を取材する機会があろうとは(4月11日朝刊3面ひと欄)。どこにご縁があるか分からないものです。 そのきっかけは、4月6日に宇治市内であったアジアの子どもたちを支援するチャリティーコンサートでした。「アジア協会アジア友の会・宇治」の主催。日曜日でしたので、妻と出かけたのです。 クラシックというと堅苦しいイメージがありますが、瀬田さんのコンサートは和やかなものでした。有名な曲を紹介しつつ、あえて1曲ごとの演奏時間を短くし、その間に軽快なトークを交えます。 例えば、トルコ行進曲では、敵軍の音楽隊の吹き鳴らす曲にウィーンっ子がほれ込んだ話を披露。世界一難しいと言われるラ・カンパネラでは 「もし上手に弾けたらブラボーをお願いします」と私たちに声をかけてくれます。最後は、声楽をする夫の清史さんも登場し、全員でガンダーラの大合唱。本当に楽しいひと時で、いっぺんにほれ込んでしまいました。 瀬田さんがこのようなコンサートを姶めたのは00年。娘さんの「日本では普通の人はクラシックコンサートなんか行かないと思うよ。何着ていったらいいか分からないし、チケット代は高いし、I曲が長くて眠くなるし」という意見に、思わず納得したからです。 「親しみやすい雰囲気で安くできないか」。そんな思いから、瀬田さん自身が1000円コンサート」を企画しました。一部からは「価格破壊だ」と非難されたとか。でも大好評で、それがチャリティーコンサートとして続いているのです。 その瀬田さんが4月19日に大阪府豊能町の自宅を売り払ってタイ・チェンマイに移住してから1カ月。隣国ミャンマーではサイクロンで大きな被害があり、気になっていましたが、先月26目、瀬田さんの公式ホームページに「タイ・チェンマイ便り」がアップされました。快適な生活のなか演奏活動の準備を進めているとのこと。ほっとしました。 今月下旬の日本ツアーから戻ったら、タイでもチャリティーコンサートを計画しているそうです。 クラシックに興味を持たせてもらったことに感謝しながら、彼女の活躍を見守りたいと思います。 【学研宇治支局長・三野雅弘】 |