朝日新聞



  2007年(平成19年) 1月16日 火曜日  大阪

ピアノ弾ける命実感
 
 阪神大震災で、同じピアニストだった親友を失った豊能町の瀬田敦子さん(51)。一時は、悲しみでピアノに向かう意欲を失ったが、亡き友を思い、命の大切さや演奏できる幸せをかみしめて再び鍵盤の前に戻った。活動の舞台を世界に広げる一方、被災者や世界の戦争被害者らのためのチヤリティーコンサートも重ねている。
                         (太田康夫)

        震災で同僚亡くした演奏家

 瀬田さんは、震災当時、武庫川女子大(兵庫県西宮市)の非常勤講師だった。住んでいた豊中市の自宅は大きく揺れたが、けがはなかった。だが、同じ非常勤講師のピアニストで、兵庫県芦屋市に住んでいた猪木聡子さん(当時31)が、自宅の倒壊で亡くなった。
 被災地救援にフル回転する消防職員や警察官、自衛隊員らの映像などを見るうち、ピアニストは被災者らの役に立てないとの思いにかられた。友を失ったショックと重なり、ピアノに向かえなくなった。
 約4ヵ月後、被災地向けのチャリティー演奏会で、恩師がピアノを弾いた。心が揺さぶられた。「ピアノを聴いて『癒やされた』 『がんばろう』と感じてもらえることにピアニストの役割や使命がある」と思い、再びピアノに向かった。
 瀬田さんは、震災前の94年の演奏会で猪木さんが弾いたグリーグのピアノ協奏曲の叙情あふれる音が耳に残っていた。自らも演奏したいと思い、一緒に練習してほしいと頼んでいた。猪木さんも演奏会の出来栄えに納得せず、「もう一度演奏したい」と、良い演奏への強い思いを話していた。
 どちらも、もう実現できない。それだけに、思うような音が出せない時は、「猪木さんは、もっと弾きたかったはず。弱音を吐けない」と自らを鼓舞した。
 96年、イタリアの国際音楽コンクールに初挑戦し最優秀賞を受けた。97年にはポーランドでグリーグのピアノ協奏曲を披露するなど、海外に活躍の湯を広げた。

        豊能の瀬田さん世界で、チャリティーで活躍

 一方、世界各地の災害や戦争、貧困が、人ごとに思えなくなった。「苦しむ人たちのために何かをしたい」。01年秋にインド西部地震、02年はアフガニスタン難民、03年はフィリピンのストリートチルドレン、04年はイラク平和などと、世界の被災者のためのチヤリティーコンサートやライブを大阪や東京などで、開催や参加し続ける。
 毎年1月17日ごろ、同ピアノ協奏曲を聴くなどして、初心に帰る。「これからも、命があることに感謝し、命や平和の重さを伝え、人の役に立てる演奏を続けたい」
 17日は自宅で、友を思いながら弾くつもりだ。
 
震災で亡くなった友に励まされるように
演奏を続ける瀬田敦子さん=豊能町で



 

     2007年 (平成19年)  3月10日  土曜日    


そごう劇場木曜クラシックスペシャル

瀬田敦子「春のティータイム・ミニコンサート」

〜ピアニストの素敵なトークもお楽しみに〜

瀬田敦子プロフィール  (Atsuko Seta)
日本クラシック音楽コンクール第3位、全日本ソリストコンテスト・ベストソリスト賞受賞。'96年、イタリアで開催されたマスタープレイヤーズ国際音楽コンクールで優勝。ヨーロッパデビューのチャンスを得る。ポーランド、レバノンのオーケストラと共演を重ねると共にヨーロッパ各地でソロリサイタルを開催、いずれも高く評価されている。チャリティーコンサートやホームコンサートなどを開催し、より多くの人にクラシックを身近に楽しんでもらえるような活動にも力を入れている

曲 目

トルコ行進曲 ・ エリーゼのために ・ 幻想即興曲 ・ 革命
ノクターン遺作 ・ 黒鍵 ・ ラ・カンパネラ
幻想曲さくらさくら ・ 津軽ジョンから節  他


    会場 : SOGO そごう心斎橋本店  14階そごう劇場
    後援 : 朝日新聞社
    協力 : キョードー大阪